京都府出身の洋画家、歌人。
主に貧民街を転々としながら生活していた為、
決まったアトリエは持たず、下町やその中で生きる人々の姿を叙情豊かに制作した。
また日頃から当時の文化人や著名人の元に押しかけては、描いた作品を押し売りに行ったり、
半ば無理矢理に肖像画を制作したりして生活費を捻出していたという。
その為か、彼について長年口を閉ざす者は少なくなく、画家としての評価が進むのにも長い年月を要した。
また以上の理由から、彼の詳細な略歴は今なおはっきりとしない部分が多い。
1891年 京都生まれ
1923年 新光洋画展で『田端変電所』入選
1925年 第3回大阪藝術展入選
1926年 二科展、帝展に入選
1927年 1930年協会展で『陸橋みち』他2点入選
1928年 1930年協会展奨励賞受賞
1932年 天城俊彦と出会う。(以後、天城画廊で10回以上の個展を開催)
1935年 アモレ画廊で個展
1937年 一水会展出品
1940年 5月三河島の路上で倒れ、10月12日に死去
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カフェ・パウリスタ (1928) 東京国立近代美術館蔵 |